ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』を挫折した。

 

 下調べしてる段階で、お!こんなテーマなのか!買ったろ!という勢いで買ったが、読んでるうちに、「思ってたテーマと違う・・・」となり、「てか何言ってんのか全然わかんねぇ・・・」となったので、放棄した。

 

 カラ兄について書かれた文章をいろいろ読んでみた結果、どうも共通して挙げられるテーマは、以下の点みたい(自信なし)。

 

(1) 神の存在を疑っているイワン君が、神いないんじゃね?ということを考えるために「大審問官」という創作話をする。

(2) 「もし神がいないとすれば善悪もないよね?」というイワン君の思想に感化されたスメルジャコフ君が、「じゃあ人殺しもOKだろ!」と考えて親父をぶっ殺す。

(3) 人殺しOKのはずが、いろいろあってスメルジャコフは自殺、一連の事態に直面して思想的に動揺したイワン君も夢で悪魔と出会うようになる。

(4) あれーおかしいね~神がいなければ善悪とかないんじゃなかったの~(ニヤニヤ)

 

みたいな。

 

 ただ実際にはここまで単純化できる話ではなく、どうも精読するには前半部分で主要キャラが開陳する思想を表にまとめつつ、それが後の話にどう顕れていくのかを押さえていかないといけないらしい。さらに解説書とかも読まないと・・・ってなるとちょっとだる過ぎるので投げた。

 

 友達のキリスト教徒が何かごちゃごちゃ言っていたのを思い出したので、そいつに会ったらまた引っ張り出して読もうかな。

 トルストイ戦争と平和』第1部第3篇のつづき。

 いよいよアウステルリッツ会戦。ナポレオン率いるフランス軍とロシア軍の激突が描かれる。

 そこでは主要人物の、アンドレイ、ニコライ、ボリスがそれぞれ野望を語るが、ロシア軍は敗け、アンドレイは捕虜となり、ニコライはせっかくの出世のチャンスを逃す。

◆アンドレイ・ボルコンスキー
◇[Before] アンドレイは戦争で大活躍する妄想をするが・・・

《そうだ、あしただ、あしただぞ!》彼は思った。《あした、もしかすると、おれにとってすべてが終わってしまうかもしれない。こんな思い出はみんなもうなくなってしまう。こんな思いではもうおれに何の意味もなくなってしまうかもしれない。だが、あした、もしかすると──いや、きっと、あしただ、そういう予感がする。はじめておれは自分のできることをなにもかも、いよいよ、見せることになるのだ》。すると、戦闘が起こり、敗け、戦いが一つの地点にしぼられ、指揮官たちがみんなあわてふためく様子が思い浮かんだ。そしてその時、彼があれほど長いあいだ待っていた幸福な瞬間が、トゥーロン(ナポレオンがはじめて勲功を立てた場所)がついにやってくる。彼はクトゥーゾフにも、ワイローターにも、両皇帝にも、自分の意見を断固として、はっきり言う。みんなが彼の考えの正しさにびっくりするが、だれひとりその実行を引き受けようとしない。そこで、彼は一個連隊、いや一個旅団をもらい、今後だれも自分の命令に口をさし挟まないという条件を出す。そして、自分の旅団を引き連れて決戦の地点に向かい、たったひとりで勝利を収める。


◇[After] 大ケガをして何か悟りを開く。

《なんだ、これは?おれは倒れているのか?俺は足がふらついている》と彼は思った。そして、あお向けに倒れた。彼はフランス兵と砲兵との闘いがどんな結末になったかが見られるものと思い、赤毛の砲兵が殺されたか、殺されなかったか、大砲が奪われたか、救われたか、知りたいと思って、目を見開いた。しかし、何も見えなかった。彼の上には空以外何もなかった──澄んではいないが、それでもやはり、はかりしれないほど高くて、灰色の雲が静かに流れている、高い空以外。《なんて静かで、落ち着いていて、おごそかなんだろう。おれが走っていたのとはまるで違う》アンドレイは思った。《おれたちが走り、わめき、取っ組み合っていたのとはまるで違う。憎しみのこもった、おびえた顔で、フランス兵と砲兵が砲身清浄棒を奪い合っていたのとはまるで違う──まるで違って、この高い果てしない空を雲が流れている。どうしておれはいままでこの高い空が見えなかったのだろう?そして、おれはなんて幸せなんだろう、やっとこれに気づいて。そうだ!すべて空虚だ、すべていつわりだ、この果てしない空以外は。何も、何もないんだ、この空以外は。いや、それさえもない、何もないんだ、静寂、平安以外は。ありがたいことに!・・・・・・

 

その後フランス軍の捕虜となり、憧れのナポレオンとも対面するが、新たな考えに取り付かれた彼には、ナポレオンもちっぽけなものに見えてしまう。

彼は自分の上にはるかな、高い、永遠の空を見ていた。彼はそれがナポレオンだ──自分の英雄なのだ、とわかっていた。しかし、自分の心と、この、雲の走っている、高い、無限の空のあいだで今生じていることにくらべると、この時彼には、ナポレオンがあまりにもちっぽけな、取るに足りない人間に思えた

 

◆ニコライ・ロストフ
◇[Before] ニコライは皇帝の側近に取り上げてもらおうと魂胆するが・・・

《どうして、あり得ないんだ?大いにありうるじゃないか》ニコライは思った。《陛下がおれにお会いになって、どんな士官にでもなさるように、命令を与えて、おっしゃる。「行って、向こうの様子を確かめて来い」。ずいぶんいろいろな話があったじゃないか、ある士官にまったく偶然に陛下がなんとなく目を留められて、ご自分の側近になさった、などという。どうだろう、もし陛下がおれを側近にしてくださったら!ああ、せいいっぱい陛下の身を守り、せいいっぱいの真実をなにもかも申し上げ、陛下を欺いているやつらを、せいいっぱい暴き立ててやる!》そして、ニコライは皇帝に対する自分の愛情と忠誠を、ありありと心に思い描くために、敵やペテン師のドイツ人を思い浮かべ、胸のすく思いでそいつを殺すばかりでなく、皇帝の目の前でその頬をぶんなぐるのだった。

 

◇[After] 失敗する。

彼は皇帝のそばに寄ることができたはずなのだ・・・・・・できたばかりでなく、するべきだったのだ。そして、それが皇帝に自分の忠誠を示す唯一の機会だったのだ。それでいて、彼はそれを生かさなかった・・・・・・《なんていうことをおれはやってしまったんだ?》彼は思った。そして、馬をめぐらして、皇帝を見かけた場所に急いで引き返した。しかし、もう溝の向こうにはだれもいなかった。


◆ボリス
◇[Before] 戦争を通じて出世するぞ!と息巻くが・・・

《おやじが1万ルーブルずつ送ってくれるニコライは、だれにも頭を下げたくないとか、だれに下僕にもならんとか、理屈をこねてればいい。だが、自分の頭以外何も持っていないおれは、自分の出世の道をはかって、チャンスはのがさず、利用しなければならないんだ》。

ボリスは最高権力のそばにいるという考えに興奮していた。彼は今自分がその権力の内側にいるのを感じていた。彼は自分がここでは、あの大群の巨大な動きをすべて支配している原動力に触れているのを意識した。


◇[After] その後のボリスは描かれないが、ロシア軍が敗けてしまったので大した出世は望めなさそう。

 岩井俊二花とアリス』を観た。
 
 岩井俊二作品をはじめて観た。タイトルの通り、女子高生の花ちゃん(鈴木杏)とアリスちゃん(蒼井優)の話。
 
 女子高生のかわいい女の子にこんなことさせたいぜ!ってのがたくさん詰まった映画で、童貞の妄想要素でいっぱい。列挙すると以下。
 
・女子高生2人が(おそらく)映画ファン。
落研の冴えない男子高校生をめぐって、蒼井優鈴木杏が争う。
・高校の写真部の女の子が、バレエのチュチュ姿の女子高生たちを撮影しまくる。
蒼井優が制服でバレエを踊る際、大沢たかおが「パンツ見えるよ」と優しい心遣いを見せたところ、「あ、大丈夫です、減るもんじゃないんで」と100点満点の回答。
 
 これだけだと単なるエロゲーなのだが、映像美と蒼井優のかわいさでガンガン押していくので、2時間15分という長尺が気にならない(けど女性のレビューで「見てて吐きそう」って言っているものがあった、そうだよなぁ)。
 
 これも現実と戦うというより、映画の世界に浸っているのが心地よいという類の映画だった。
 
 
[追記] 驚いたのが、蒼井優が撮影当時19歳だったということ。本作では高校1年生の役をやっているので、15~16歳ぐらいの設定なのだが、もっと若いように見える。

 沖田修一『横道世之介』を観た。

 現実と戦う映画ではなく、ただただその世界観に浸っているのが心地よいという類の映画だった。

 あらすじも結構漫画的で、大学新入生で、ぼんやりした性格の横道世之介高良健吾)が、ひょんなことからお金持ちの祥子(吉高由里子)に猛烈アタックを受けて、翻弄されるというもの。

 主人公横道世之介は、男が感情移入しやすいキャラクターをしている。すなわち、イケメンなのに女の子の気持ちには鈍感、ゲイの友人(綾野剛)にも理解を示し、孤独でどうしようもない友達(池松壮亮)にも気前よく金を貸してやる。

 祥子お嬢さまも、口調が「~ですわ」「~だわ」みたいな典型的なお嬢さまのそれで、挨拶はもちろん「ごきげんよう」、告白されると照れてカーテンに包まって出てこない・・・って書いててバカバカしくなってきた。

 そんな感じなので、観ていて非常に心地が良いのだ(ただこれ女の子が観たら面白いんだろうか)。後から気づいたのだが、2時間40分もあったらしい。

 観ていて別に得るものはないのだが、たまにはこういうのもいいかなと思った。

 

[追記] どうでもいいけど各種レビューサイトでこの映画が歴史的名作並みの点数を与えられてるのを見ると、みんな疲れてるんだなぁと思う。

[追記] 一晩寝てふと思った点が2つある。
 ひとつは、大学時代に横道世之介みたいな奴がいたなぁということ。イケメンで、リア充の頂点にいるのに、みんなに分け隔てなく接することができる男が。一つの理想の人間像なのだろう。
 もうひとつは、綾野剛演じるゲイの加藤雄介は原作者吉田修一自身だったんじゃないだろうか。大学時代、やさしく誠実に接してくれた「横道世之介」を描いたのが本作ではないかと思った。これは原作読んでないので妄想だが。

 デヴィッド・フィンチャー『セブン』を観た。

 

 この世の中をクソだと思っている3人の男が、ある連続殺人事件をめぐって、それぞれどう行動するのかを描いた映画だ。

 

 1人目、ジョン・ドウ(ケヴィン・スペイシーは、連続殺人事件の犯人である。理由は明らかにされないのだが、この世界を「腐った世の中」と見なし、人々に警告を与えるために、キリスト教7つの大罪になぞらえて人を殺していく。たとえば、「肉欲の罪」になぞらえて娼婦を殺害し、「貪欲の罪」になぞらえて強欲な弁護士を殺害する。

 

「この腐った世の中で、誰が本気で彼らを罪のない人々だと?」

 

 2人目、ウィリアム・サマセット(モーガン・フリーマンは、引退寸前の老刑事だが、ジョン・ドウと同様にこの世界を腐った世の中だと見なしている。というのは、刑事として経験した事件の中で、人々の無関心が招いた惨劇を多く見聞きしてしまったからだ(また、この世の中で子どもを持つ気になれず、恋人を説得して中絶をさせた経験を持つ)。

 

「犬の散歩中に男が襲われた。時計と財布を盗られ、救いもなく歩道に倒れてたら、今度はナイフで両目を刺された。ゆうべ近所で起こった事件だ。・・・・・・もうついて行けない」

 

「都会では他人には関心を持たない。強姦魔に襲われたら大声で”火事だ!”と叫べと言う。”助けて!”では誰も来てくれない」

 

サマセット「俺はもう無関心が美徳であるような世の中はうんざりだ」
ミルズ「あんたも同じだろ」
サマセット「違うとは言ってない。俺にも十分 分かる。無関心が一番の解決だ。人生に立ち向かうより麻薬に溺れる方がラクだ。稼ぐより盗む方がラクだ。子も育てるより殴る方がたやすい。愛は努力が要る」

 

「こう思った。こんな世界に子どもを?こんなひどい世の中に産むのかって」「今考えてみても正直言って、あの決断は間違ってはいなかった。だが1日として、違う決断をしてればと思わない日はない」

 

 彼がジョン・ドウと違うのは、当初、腐った世の中に対して戦いを挑まず、隠遁生活を選んだことだ。しかしその決断は3人目で主人公のデイヴィッド・ミルズとの出会いで変わることになる。

 

 3人目、デイヴィッド・ミルズ(ブラッド・ピットは、殺人課に配属された若手刑事である。先の2人ほど厭世観は持っていないものの、新たに越してきたこの町に犯罪が蔓延っていること、不動産屋に騙されて騒音物件を掴まされたことで、世の中腐っていると思いつつある。

 しかし、彼がサマセットと違うのは、腐った世の中に戦いを挑んでいることだ。しかもジョン・ドウのように間違った手段(殺戮)ではなく、刑事としての正義を行使することでだ。

 

「ともかくあんたは、世の中をそう思うから辞めるわけじゃない。辞めるからそう思いたいんだ。俺に同意を求めてる『ああ、世の中最悪だ。こんな所やめて山奥に住もう』ってね。だが俺はそうは言わない。あんたに同意はしない。できない」

 

 映画のラストでは、7つの殺人(7つの大罪になぞらえているため)を完成させようとするジョン・ドウと、それを阻止しようとするサマセットとミルズの戦いになる。結果は驚くことに、サマセットとミルズの敗北に終わる*1

  しかし、サマセットはこれらの事件を通じて腐った世の中と戦う意義を感じ、引退を取りやめることを選ぶ。映画の最後に流れる台詞は、サマセットの以下の言葉だ。

 

ヘミングウェイは言った。『この世界は素晴らしい。戦う価値がある』私は同意するよ。後半部分に」

 

*1:あれは実は勝利なのだと言っている考察があったが、かなり無理がある。よく見積もっても7:3でジョン・ドウの勝利だろう

 三木聡 『転々』を観た。

 

 貧乏学生である主人公(オダギリジョー)が、借金取りのおっさん(三浦友和)から、妻を殺したため霞ヶ関の警察署に行くが、付き合ってくれたら金をやる、と言われ、付いていくというストーリー。

 

 ここまでだと荒唐無稽でいまいちノれないのだが、道中、おっさんの愛人(小泉今日子)宅に泊まるところで話はいきなり面白くなる。というのも、偶然、愛人の親戚の女の子(吉高由里子)が泊まりに来たため、不自然に思われないように、主人公が息子、おっさんが親父、愛人がお母さんという擬似家族を演じることになるからだ。

 

 実際には家族ごっこをしているだけなのだが、家庭が崩壊していた主人公にとっては、はじめて本物の家族を持ったように思えてならない。しかもその家族というのが、お母さんが小泉今日子で、父親三浦友和、妹が吉高由里子なのだからなおさらだ。

 

 主人公はこんな生活がずっと続けばいいとさえ思う(観客もこの世界観に浸っていたいと思う)のだが、ある日「お母さん」から今日の夕飯がカレーだと知らされ、落ち込んでしまう(観客も落ち込む)。というのも、愛人宅に来る前におっさんから、自首の前日にはカレーを食うつもりだと知らされていたからだ。

 

 カレーを食いながら主人公はたまらず泣いてしまうのだが、「妹」と「お母さん」は何のことだか分からない。

 翌朝、2人で警察署に向かい、おっさんが自首して映画は終わる。

 

 理想的な家族が一夜にして無くなってしまう様は観ていて非常に悲しく、胸が締め付けられた。家族の大切さを描いたいい映画だと思う。

 

 ちなみに園子温紀子の食卓』とジェリー・シャッツバーグスケアクロウ』がどうも元ネタらしい。機会があれば観たい。

 近時の邦画を全然観てないので、これから観る(かもしれない)リスト。

 

hulu
山下敦弘マイ・バック・ページ(2011/日)』
橋口亮輔 『ゼンタイ(2013/日)』
◆入江悠 『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者(2012/日)』

netflix
タナダユキ百万円と苦虫女(2008/日)』(*)
岩井俊二花とアリス(2004/日)』*
◆内田けんじ 『鍵泥棒のメソッド(2012/日)』(*)
中村義洋 『みなさん、さようなら(2012/日)』
三木聡 『転々(2007/日)』*
◆沖田修一 『横道世之介(2012/日)』*

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大根仁 『恋の渦(2013/日)』