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 デヴィッド・フィンチャー『セブン』を観た。

 

 この世の中をクソだと思っている3人の男が、ある連続殺人事件をめぐって、それぞれどう行動するのかを描いた映画だ。

 

 1人目、ジョン・ドウ(ケヴィン・スペイシーは、連続殺人事件の犯人である。理由は明らかにされないのだが、この世界を「腐った世の中」と見なし、人々に警告を与えるために、キリスト教7つの大罪になぞらえて人を殺していく。たとえば、「肉欲の罪」になぞらえて娼婦を殺害し、「貪欲の罪」になぞらえて強欲な弁護士を殺害する。

 

「この腐った世の中で、誰が本気で彼らを罪のない人々だと?」

 

 2人目、ウィリアム・サマセット(モーガン・フリーマンは、引退寸前の老刑事だが、ジョン・ドウと同様にこの世界を腐った世の中だと見なしている。というのは、刑事として経験した事件の中で、人々の無関心が招いた惨劇を多く見聞きしてしまったからだ(また、この世の中で子どもを持つ気になれず、恋人を説得して中絶をさせた経験を持つ)。

 

「犬の散歩中に男が襲われた。時計と財布を盗られ、救いもなく歩道に倒れてたら、今度はナイフで両目を刺された。ゆうべ近所で起こった事件だ。・・・・・・もうついて行けない」

 

「都会では他人には関心を持たない。強姦魔に襲われたら大声で”火事だ!”と叫べと言う。”助けて!”では誰も来てくれない」

 

サマセット「俺はもう無関心が美徳であるような世の中はうんざりだ」
ミルズ「あんたも同じだろ」
サマセット「違うとは言ってない。俺にも十分 分かる。無関心が一番の解決だ。人生に立ち向かうより麻薬に溺れる方がラクだ。稼ぐより盗む方がラクだ。子も育てるより殴る方がたやすい。愛は努力が要る」

 

「こう思った。こんな世界に子どもを?こんなひどい世の中に産むのかって」「今考えてみても正直言って、あの決断は間違ってはいなかった。だが1日として、違う決断をしてればと思わない日はない」

 

 彼がジョン・ドウと違うのは、当初、腐った世の中に対して戦いを挑まず、隠遁生活を選んだことだ。しかしその決断は3人目で主人公のデイヴィッド・ミルズとの出会いで変わることになる。

 

 3人目、デイヴィッド・ミルズ(ブラッド・ピットは、殺人課に配属された若手刑事である。先の2人ほど厭世観は持っていないものの、新たに越してきたこの町に犯罪が蔓延っていること、不動産屋に騙されて騒音物件を掴まされたことで、世の中腐っていると思いつつある。

 しかし、彼がサマセットと違うのは、腐った世の中に戦いを挑んでいることだ。しかもジョン・ドウのように間違った手段(殺戮)ではなく、刑事としての正義を行使することでだ。

 

「ともかくあんたは、世の中をそう思うから辞めるわけじゃない。辞めるからそう思いたいんだ。俺に同意を求めてる『ああ、世の中最悪だ。こんな所やめて山奥に住もう』ってね。だが俺はそうは言わない。あんたに同意はしない。できない」

 

 映画のラストでは、7つの殺人(7つの大罪になぞらえているため)を完成させようとするジョン・ドウと、それを阻止しようとするサマセットとミルズの戦いになる。結果は驚くことに、サマセットとミルズの敗北に終わる*1

  しかし、サマセットはこれらの事件を通じて腐った世の中と戦う意義を感じ、引退を取りやめることを選ぶ。映画の最後に流れる台詞は、サマセットの以下の言葉だ。

 

ヘミングウェイは言った。『この世界は素晴らしい。戦う価値がある』私は同意するよ。後半部分に」

 

*1:あれは実は勝利なのだと言っている考察があったが、かなり無理がある。よく見積もっても7:3でジョン・ドウの勝利だろう