トルストイ戦争と平和』第2部第2篇について。

1. 前置き
 前提として、この前の第2部第1篇では、戦争から帰ってきた主人公たちが色々やってストーリーが進む。

・ピエールは、巨乳で美人の奥さんと別居、社交界の笑いものになりつつ、色々悩んでフリーメイソンに加入する。
・アンドレイは、フランス軍から解放されて、帰宅。その時ちょうど奥さんが出産をしていたところで、赤ん坊は無事産まれたが奥さんは死亡。
・ニコライは、両想いのソーニャが他の男に取られそうになって焦る(けど何やかんや理屈をつけて付き合おうとはしない)。一方、一途なソーニャは男の告白を蹴る。男はニコライを逆恨みし、ギャンブルを持ちかけ、大金を巻き上げる。

 3人の話はそれぞれ面白くていい。ニコライ編はいきなりカイジみたくなって笑ったけど。

2. 本題
 その上で、第2部第2編。ここではピエールとアンドレイが久々の再会を果たす。

 2人はこれまで離婚・戦争という苦難を経ているため思想が円熟しており、ここでは両者の思想がぶつかり合う。議題は、(α)人は善悪を判断できるか、(β)幸福とは何か、である。

 

<ピエールの思想>
(1) 神がいる以上、善悪の判断は可能である。それは例えば隣人愛の精神に沿っているか、真理に沿っているかという基準で判断される。
(2) したがって、幸福とは、①他人のために生きること(貧しい人に信仰や援助を与えること)、②真理の獲得を目指すこと(愛、信仰)、である。

 

<アンドレイの思想>
(1) 人は、何が正しくて、何が正しくないかを判断できない。
(2) したがって、幸福とは何かという点についてはっきり言えることは少ない。
 ア. その中でも、とりあえず、悔恨や病気があると不幸であるということは言えそう。
 イ. また、他人のために行動することが幸福だとは言えなさそうだ。なぜなら、自分は名誉(アンドレイの定義によれば、他人のために何かをしてあげて、褒めてもらうこと)のために行動した結果、戦場でひどい目にあったからだ。
(3) したがって、悔恨や病気を避け、自分のために生きること(=自分の人生をできるだけ楽しくすること)こそが幸福であると言える。

 

 この議論を一見して分かるのは、ピエールの思想がすっきりしているのに対し、アンドレイの思想は何やらごちゃごちゃしていることだ。

 

 アンドレイによれば人は善悪を判断できないのだが、そうだとすると何が幸福かということも判断できないはずである。それにもかかわらずアンドレイは「自分のために生きること」が幸福だと断言する。しかしその根拠は理屈として成り立っているかが怪しい*1

 

 そんな調子なので、アンドレイは作中でもピエールにやり込められてしまう。読んでる身からすれば、どうしたんだよアンドレイという感じである。

*1:① 名誉のために行動することは自分のために行動することではないか。② 他人のために生きることが幸福でないとしても、それは自分のために生きることが幸福だということの積極的な根拠にはならない。等。