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 内村鑑三『聖書注解全集 第6巻』を借りて読む。

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 すごい本まじで。ちょっとしか読んでないから要約とかできないけど。価値観揺さぶられまくり。

 

 筆者は北大出身の有名人で第一に挙がる人(中学高校では不敬事件の当事者として教えられる)だけど、いまいち何した人なのか知らなかった。学者さんだったとは。

 聖書の注釈書を読むのは初なので、通説的な立場かは知らないが、読んでて「おや?」と思うところはない。一節一節の注釈が、他の書と比較検討されて出されるので、非常に体系的な解説となっている。

 それと、どうも底本が講演の書き起こしらしく、言葉遣いは古いが非常に読みやすい。一冊が薄い(約230頁)のもいい。

 

 全17巻らしいんだけど、アマゾンで中古が安く買えるので、全部そろえて読みたい。

 金ローで宮崎駿もののけ姫』を観た。

 

1. 前半のテーマ

 この作品、前半のテーマは非常に分かりやすい。それは人間対自然である。

 すなわち、エボシ御前は自然を破壊してたたら場を拡張していく。しかしそれは私利私欲のためではなく、ハンセン病をはじめとする障害者の世話をしたり、売られている娘たちを救うためである。

甲六「エボシさまときたら売られた娘を見るとみんなひきとっちまうんだ。そのくせ掟も祟りもヘッチャラな怖い人だよ」

ハンセン病患者の長老「お若いかた、わたしも呪われた身ゆえ。あなたの怒りや悲しみはよくわかる。わかるが、どうかその人を殺さないでおくれ。その人は わしらを人として扱ってくださったたったひとりの人だ。わしらの病をおそれずわしの腐った肉を洗い布をまいてくれた」

 他方、エボシ御前の行動により、森は破壊され、旧来からの山の神は行き場を失い、殺されていく。

猩猩木植えた木植え、…木植えた。みんな人間抜く。森戻らない人間殺したい

乙事主「モロ、わしの一族を見ろ!みんな小さくバカになりつつある。このままではわしらはただの肉として人間に狩られるようになるだろう・・・」
モロ「気に入らぬ一度にケリをつけようなどと人間どもの思うつほだ!」
乙事主「山犬の力をかりよいとは思わぬ。たとえ・・・わが一族ことごとくほろぶとも人間に思いしらせてやる!」

 主人公アシタカは、人間側、自然側、両者の気持ち・苦悩が分かるからこそ、悩み、共存の道を探ろうとする。

 

2. 後半のテーマ

 しかし、ジコ坊主導の下、シシ神の首取りがはじまると上記テーマは一旦よそに置かれる。

 代わってはじまるのは人間のはてなき欲望(現代で言えば拝金主義・消費主義)に対する批判だ。

 すなわち、ジコ坊は天皇から遣わされた者だが、彼がシシ神の首を狙うのは、それによって永遠の命が得られるからだ。こうしたジコ坊および背後にいる天皇の私利私欲により、何人もの人と神が死に、たたら場は滅ぶ。

ジコ坊「金も時間もじゅうぶんにつぎこんだ石火矢衆四十名をかしあたえたのは鉄をつくるためではないぞ…とまあ師匠連は言うだろうなあ」
エボシ「まさかそなたまでシシ神の生首に不死不老の力があると思ってはいまいな」
ジコ坊「やんごとなき方々の考えはワシにはわからん」

ジコ坊「天地の間にあるすべてのものを欲するは人の業というものだ・・・」

 ここには明確に、人間のはてなき欲望に対する批判がある。そしてこうした欲望はシシ神により粉砕されることになる。

 

3. 終盤のテーマ

 シシ神が首を取り戻したのち、再び「人間対自然」という前半のテーマが帰ってくる。それはサン(自然を代表)とアシタカ(人間を代表)の愛の行方という形で語られ、2人は結婚はしないが、共存するという道を選ぶ。

サン「アシタカは好きだ。でも人間をゆるすことはできない」
アシタカ「それでもいい。サンは森でわたしはタタラ場で暮らそう。共に生きよう。会いにいくよ。ヤックルに乗って」

 ここには、究極的には自然と人間は分かり合えない*1が、共存はできる(すべきだ)という考え方がある。

 

4. 「生きろ」について

 本作には、これまで述べてきた「人間対自然」「はてなき欲望に対する批判」という2つのテーマのほかに、もう1つテーマがある。

 それはキャッチコピーである「生きろ」ということだ。

 本作の登場人物はみなつらい人生を送っている。①アシタカは冒頭の祟り神の呪いで早晩苦しんで死ぬ運命にあった。②サンは親から捨てられ、人間にもなれず山犬にもなれない中途半端な存在として双方から憎まれ続ける。③作中登場する女はみな体を売って生活してきた女である(それはエボシ”御前”も例外ではない)。④ハンセン病患者・障害者はその病気ゆえに生きるのに困難を抱えている。

ジコ坊「そこらを見なさい。この前来たときはここにもそれなりの村があったのだが洪水か地すべりか・・・さぞたくさん死んだろうに。戦、行き倒れ、病に、飢え。人界は恨みをのんで死んだ亡者でひしめいとる。タタリというならこの世はタタリそのもの」

 しかし本作には、それでも、人生がいくらつらくても、生きなければならないというメッセージが詰め込まれている。

ハンセン病患者の長老「生きることはまことに苦しくつらい・・・世を呪い人を呪いそれでも生きたい・・・」

アシタカ「生きろ・・・」
サン「まだ言うか!人間の指図はうけぬ!」
アシタカ「そなたは美しい・・・」

アシタカ「シシ神は傷はいやしてもアザは消してくれなかった。呪いがわが身をくいつくすまで苦しみ生きろと・・・」

サン「もう終わりだ。なにもかも。森は死んだ・・・」
アシタカ「まだ終わらない。わたしたちが生きているのだから」

甲六「もうだめだ!タタラ場が燃えちまったらなにもかもおしまいだ」
トキ「生きてりゃなんとかなる!」

サン「よみがえってもここはもうシシ神の森じゃない!シシ神さまは死んでしまった」
アシタカ「シシ神さまは死にはしないよ。生命そのものだから・・・生と死とふたつとも持っているもの・・・わたしに生きろといってくれた」

  これは、つらい人生の中でニヒリズムデカダンスに陥りがちの私たち(ではなく子供たちかもしれないが)に対する、叱咤激励であり、エールである。

*1:ちなみにポニョではここの考え方がやや変わってくる。

 『ブロークバック・マウンテン』を観た。泣く子も黙る超有名ゲイ映画だ。

 

1. ゲイ映画というとすぐ『トーチソング・トリロジー』や『プリシラ』のような、「差別と偏見に負けない」「愛は勝つ」的なテーマを思い浮かべてしまうのだが、この映画は違う。

 

2. この映画は、相手と両想いなのに、余計なことをいろいろ考えてしまってくっつけない男の話だ。以下列挙するように、本作の主人公は計6回も愛する人と一緒になるチャンスを逃す。

(1) 主人公イニスは、季節労働で訪れた山(ブロークバック・マウンテン)で、ジャックと出会う。そこで2人は恋に落ちるが、山を降りると、イニスは恋人アルマと結婚すると宣言してジャックと別れる。自分から別れを告げておきながら、イニスは独り号泣する。

(2) 宣言通りイニスはアルマと結婚するが、ある日ジャックから手紙が来る。再会を喜ぶ2人は再び山に出かける。ジャックはここで、2人で牧場を持って幸せに暮らそうと提案するが、イニスは家庭を捨てられないからジャックとは一緒になれない、と言って断る。

(3) しかしイニスはジャックの提案を断っておきながら、ジャックへの想いは捨てきれない。その結果、妻アルマとの関係が冷え込み、2人は離婚する。離婚を知って喜び勇んでやってきたジャックに対し、イニスは子供がいることを理由につれない態度を取る。

(4) イニスとジャックの関係はなおも続き、また2人で山に来る。ジャックが自分の住処であるテキサスに来いと誘うが、イニスはなぜかキレはじめる。

(5) 再び来た山で、イニスは今度は養育費の支払いのために仕事が忙しく、当分会えないと告げる。

 イニスがここまでジャックと一緒になることを拒むのは、周囲の偏見(とそれに伴う幼少時のトラウマ)のためであると気付いたジャックは、ゲイに対して偏見の少ないメキシコで一緒になろうと提案する。しかし、ジャックがメキシコで他の男とゲイセックスをしていたことを知り、イニスはまたもキレてしまう。

 何度も何度もチャンスがあったにもかかわらず、余計なことを考えて一緒になろうとしないイニスに対し、ジャックはついにキレる。

「2人でいい人生を送ることもできた。俺たちの牧場で。でもお前が嫌がった。俺たちにはブロークバック・マウンテンだけ!お前と俺にはあの山しかない。他には何ひとつない。20年近い年月で会えたのはわずかだ。それなのにメキシコ行きを責め、渇きを癒したことで俺を殺すのか。俺のつらい想いがなぜわからない。俺はお前と違う。年に数回の行為じゃ満足できない。」

 追い詰められたイニスは俺がこんな風になったのはジャックのせいだと責任転嫁をしはじめ、次のように言って泣き崩れてしまう。

「俺はクズだ。負け犬なんだ」

 それでもイニスを愛するジャックは、イニスを熱く抱擁してやる。

(6) 山を降りたのち、イニスはジャックに手紙を出すが、名宛人死亡として返ってくる。イニスは驚いてジャックの妻に電話をすると、ジャックは事故で死んだという。聞けば、ジャックは遺言で遺骨をブロークバック・マウンテンに埋めてほしいと言っていたらしい。イニスはすぐに遺骨を持つジャックの両親のもとに駆け付ける。

 しかし、ジャックの父は、息子とゲイ関係にあったイニスを拒絶する。結局父の反対で、ジャックの遺骨を手に入れることはかなわなかった。

 

3. ラスト、イニスの娘アルマJr.が、イニスのもとを訪ねて来る。娘の結婚ということで動揺するイニスだが、結婚相手のカートのことはあれこれ聞かず、ただ次のことだけを尋ねる。

「そのカートって奴は、お前を愛してるか?」

 愛があれば一緒になっていいのだ。これまで、イニスはジャックを愛していながら、ジャックと一緒になる機会を6度も逃してきた。愛よりも余計なものを優先してきたからだ。

 アルマJr.の口から、カートはアルマJr.を愛しているということが分かると、イニスは即座に結婚を了承する。娘に自分と同じ思いをさせたくないということだろう。

 

4. 別にゲイでなくても共感できるところの多い、いい映画だった。傑作。

 庵野秀明シン・ゴジラ』を観た。

 あらすじは非常にシンプルだ。突如東京に襲来したゴジラに対し、日本政府は法規制・縦割り行政などに足を取られ、その対応に苦慮する。そんな最中、ゴジラの脅威を認識した米中露の圧力により、日本政府は核兵器によるゴジラ殲滅案を受け入れてしまう。核兵器を使用することは東京都が焦土と化すことを意味し、このままでは日本は滅亡せざるを得ない。そのため、何としても核兵器を使用する前にゴジラを凍結すべく、官僚・政治家・科学者が一丸となってゴジラ凍結作戦(ヤシオリ作戦)を推し進める、というもの。

 本作も庵野作品らしく、元ネタからテーマを考えると分かりやすい。以下、元ネタと目される作品・事件との比較から本作のテーマを考える。

 

1. 岡本喜八『日本のいちばん長い日』から考える
 『シン・ゴジラ』は『日本のいちばん長い日』から多大な影響を受けている。激しいカット割りは岡本喜八作品の特徴そのものであるし、日本が重大な危機に直面した際に、どう対応するのかということを題材としている点でも同一である。

 しかし、そこで描かれるテーマは異なる。『日本のいちばん長い日』はポツダム宣言受諾を目前に、原爆を2発落とされておきながら、なお利権争いを続ける官僚・政治家の醜悪さが描かれる。そこでは官僚・政治家が一丸となって事態に対処するという姿勢は見られず、最終的な解決は天皇が”ただ独りで”下した「御聖断」によってつけられる。

 他方、『シン・ゴジラ』では、責任逃れのために策謀を凝らす政治家・官僚が現れたりはするものの、官僚・政治家・科学者が”一丸となってゴジラの問題に対処する。そこには、どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる、というポジティブなメッセージがある。

 

2.  庵野秀明新世紀エヴァンゲリオン』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』から考える
 『シン・ゴジラ』のストーリー展開は『エヴァ/ヱヴァ』におけるラミエル戦とそっくりである。すなわち、『エヴァ/ヱヴァ』においては使徒ラミエルを倒すために全国の発電所および送電車が動員され、日本国が一丸となって協力する姿が描かれる。『シン・ゴジラ』においてはゴジラを倒すために全国のプラントおよび化学工場が動員される。

 しかし、両者はその後のストーリー展開が異なる。

 『エヴァ/ヱヴァ』においては、こうした戦いを通じて主人公シンジ君が生きる意味を見出す過程が描かれる。父に捨てられた経験から生きる意味を見失っていたシンジ君は、エヴァに乗って世界を救うことが自分の使命であると自覚していくのだ。

 しかし、シンジ君はその後、使徒レリエルとの戦いの過程で、自分が乗っているエヴァがとんでもない化け物であることに気付きはじめ、続くバルディエル戦で親友トウジに重傷を負わせる(漫画版では殺害)に至って、生きる意味を完全に見失う。

 そこで描かれるのは「みんなで協力して事態に対処したところでそれらは全く無意味である」というかなりニヒリスティックな結論である。

 他方、『シン・ゴジラ』においてはこうしたひねくれたストーリー展開はないため、「みんなが一丸となって協力すれば危機を乗り切れる」というポジティブな結論になっている。

 

3.  本多猪四郎ゴジラ』から考える
 『シン・ゴジラ』においては初代ゴジラをリスペクトすることが明言され、ゴジラのデザインやストーリーに初代ゴジラの影響があることがしばしばインタビューなどで語られている。

 『ゴジラ』のテーマの1つは、当時問題となっていた第五福竜丸事件を背景とする、反核兵器の思想である。ゴジラは水爆実験の影響で出現し、東京でゴジラがまき散らした放射線は罪のない児童にまで及んだという描写からこれがうかがえる。

 他方、『シン・ゴジラ』でも核及び原子力問題がテーマとされている。ゴジラは海中に投棄された核廃棄物を喰らったことで東京に出現し、原子力エネルギーによって動いている。

 しかし、『シン・ゴジラ』ではこの問題に対する姿勢はもう少し複雑なものとなっている。

 まず、①原子力で動くゴジラの破壊力はすさまじく、東京は一瞬で火の海にされてしまう。他方、②ゴジラがまき散らす放射線による被害は小さいとされ、③ゴジラのエネルギー源の研究を進めれば現行の原子力発電よりもより安全でクリーンなエネルギーを調達できることも示唆される。作中ではこのゴジラの2面性を評して「ゴジラは神の化身にして、人類に福音をもたらすもの」とも言われる。

 しかし他方で、④国連安保理による核兵器投下はきわめて否定的に描かれる。

 ここには、「核兵器の使用には断固として反対するが、原子力の活用については現実的に考えなくてはならない」というメッセージがうかがえる。


4. 結論
 以上の検討から、『シン・ゴジラ』のテーマは、「どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる」ということと、「核兵器の使用には断固として反対するが、原子力の活用については現実的に考えなくてはならない」という点にある。
 なんというか、大人な結論である。