リスカ痕を見ながら、でもこれがお前の魅力を成してるからな~みたいな話をしてたら、『時計じかけのオレンジ』という映画を思い出した。

 主人公アレックスは麻薬をやってレイプと暴力を振るうのが大好きな15歳だが、ある日強盗をしている最中に、仲間から裏切られて逮捕されてしまう。
 逮捕後、アレックスはセックスと暴力に生理的嫌悪感を覚えるようにする治療「ルドヴィコ療法」を受けさせられる。その結果、アレックスはレイプや暴力を振るうと凄まじい苦痛を感じる体になる。
 アレックスは出所後、これまで痛めつけてきた被害者たちに理不尽なまでにボコボコにされるが、上記の治療のせいで応戦することができない。

 ここで観客は、ボコボコにされるアレックスを見て、「アレックスがかわいそうだ」という思いに駆られる。
 それから色々あって、ラストシーンでアレックスは、ルドヴィコ療法を解除する治療を受け、再びレイプと暴力が可能となる。ここで観客は「(再びレイプや暴力を振るうことができるようになって)よかった」と安堵することになる。

 一応ハッピーエンドなのだが、これはよく考えてみるとおかしい。レイプや暴力は本来悪いことのはずだから、それができなくなることは本来喜ぶべき場面でないといけない。
 しかし実際には、観客はレイプや暴力ができなくなったアレックスを見て不安を覚え、そこから回復したアレックスを見て安堵することになる。

 これは一体どういうことなのか。おそらく本作のテーマは、「人間が人間であるためにはレイプや暴力(をする選択肢)は不可欠なのではないか」という問いだと思われる。人間からレイプや暴力(をする選択肢)を奪ったらそれはヒトではなく、「時計じかけのオレンジ」(=機械人間)に過ぎない。

 本作の論理を今回の件に適用すれば、SM的な性癖(≒レイプ)、リスカ(≒暴力)、風邪薬の依存症(≒麻薬)は極めて人間らしい行為で、なんら問題はない(むしろ歓迎すべき)ということになるのだろう。

 *社会一般がそういう価値観にないことのギャップは別問題としてあるが。

 これに賛同するかはともかく、話していて考えさせられることが多い。

 

[追記] 上に書いた類推が正しいとしたら、リスカを無理にやめさせるとどうなるんだ?と思った。アレックスくんは完全に人間性を失ってしまったわけだが、リスカ少女は?