トルストイ戦争と平和』第1部第3篇冒頭を読んでいる。

 

 第2編のクソさに比べていきなり面白い。

 前回、ロシア最大の金持ちベズーホフ伯爵の遺産を相続した主人公ピエール君だったが、莫大な遺産をゲットしたことで、今まで相手にもされなかった美女エレンとの結婚話が持ち上がる。

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 しかし、このエレンというのが、顔と体は最高だが、頭はクソ悪いという女で、ピエール君は理性と下半身の間で葛藤することになる。

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<下半身>

 彼女はいつものパーティと同じように、当時の流行にしたがって、前と後ろが大きくあいたドレスを着ていた。いつもピエールには大理石のように思えていた彼女の上半身が、彼の目からあまりにも近い距離にあったので、彼は生き生きとしたエレンの肩と首のすばらしさを、近視の目でいや応なしにはっきり見届けた。しかも、ちょっと身をかがめさえすれば、さわることができるほど、唇の近くだった彼はその体のぬくもりと、香水の匂いを感じ、息をするたびにそのコルセットがきしむのを聞いた。彼が見ていたのは、ドレスとひとつのまとまりになっている大理石のような美しさではなかった。彼はただ一枚の服でしか隠されていない、彼女の肉体のすばらしさを残らず見て取り、感じていたのだった。そして、彼はいったんそれを見てしまうと、いったん嘘が暴かれてしまうと、二度と元の見方には戻れないのと同じに、別の見方をすることができなかった。

 

<理性>

 《しかし、あの女は頭が悪い。おれが自分であの女は頭が悪いって言ってたじゃないか》彼は思った。《こんなもの愛情じゃない。それどころか、あの女がおれの心にかき立てた気持のなかには、なにかいやらしいもの、なにかあってはならないものがある。あの女の兄貴のアナトールがあの女に惚れて、あの女も兄貴に惚れて、いろいろいきさつがあって、そのためにアナトールが遠くにやられた、という話を聞いたことがある。あの女の兄貴がイポリット。あの女の父親がワシーリー公爵。これはよくない》彼は思った。

 

 結局ピエール君はエレンと結婚してしまうのだが、どうなるかは今後に期待。

 

[追記] 第1部第3篇で離婚しました。

 トルストイ戦争と平和』第1部第2篇を読了した。

 

 結論から言えば死ぬほど退屈だった。第1篇は、登場人物のキャラが立っていて、展開もそこそこスリリング、教訓もあった。

 しかし第2編は、新たな登場人物がわんさか出てくる(途中でメモするのを投げた)割には1人1人のキャラクターの掘り下げが浅く、めまぐるしい戦闘の中で描かれる数々の行動がそれぞれ誰のものなのかが全然分からなかった。

 振り返って思い出そうとしても、巻末にある14行のあらすじ以上のものが思い出せない。

 

 あえて要約するなら、フランスの大軍に対し、ロシア軍は少数なのによくやっています。その中で主要人物のアンドレイとニコライもそれなりに頑張ってます、ぐらいだ。

 

 正直モチベーションが下がるのだが、モーム先生が下記のように述べておられるので頑張りたい。

 

「わたくしが『戦争と平和』をとりあげるのを躊躇したのは、場所によっては退屈に思えるからである。戦争の場面があまりにもしばしば出てきて、しかもその一つひとつが微に細に入り語られていてうんざりするくらいであ[る]・・・・・・。しかし、そうしたところは、とばしてよめばよい。とばしてよんでも、やはりこの小説が偉大な作品であることには少しもかわりがない。」

 

 

 深作欣二監督『仁義の墓場』を観た。

 

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 「深作」に「仁義」というと、真っ先に思いつくのが『仁義なき戦い』だが、これが笠原和夫脚本だったのに対して、本作で笠原和夫は関わっていない。

 その結果、本作では、笠原和夫のテーマ(①若者を犠牲にして利権を貪る大人たち、②戦中派と戦後派の対立、③現実のヤクザに仁義などない)が消失し、深作欣二のテーマが前面に出てきている。

 深作欣二のテーマとは何か。それは、①戦争を通じて露わになった人間の暴力性と、②戦後の平和で人々が失ってしまったエネルギーだ。

 本作の主人公石川力夫は、このテーマを体現したような男で、誰彼かまわず暴力を振るいまくる。その所業を列挙すれば以下のようになる。

闇市でぼったくりをしているチンピラにいきなり発砲して金を奪い取る。
・警察から匿ってくれた女(ちえ子)を強姦して情婦にする。
・ちえ子に体を売らせてヘロイン代、保釈金を出させる。
・ちえ子を自殺に追い込む。
・敵対する組の組長の女を犯し(未遂)、組長を刺突する。
・金を貸してくれた組の車のガソリン口に火を投げ入れて爆破する。
・世話してくれた組長を刺殺しようとする。
・ちえ子の遺骨を食いながらこの組長に金と土地を要求する
・ヘロイン中毒になって売人を襲撃する。
・以上の所業を散々かばってくれた親友を殺害する。

 一読して分かるように、この主人公のやっていることはメチャクチャで、同情や感情移入の余地が一切ない。しかし観客はこの男の行為に魅せられてしまう。そこには戦後世代(我々)が失ってしまったエネルギーがあるからだ。

 


 なお余談だが、本作は主人公石川力夫の墓石に彫られた「仁義」の2文字を映すシーンで終わる。その意味について2つの対照的な解釈が挙げられていて面白かったので載っけておく。

彼の墓標に刻まれた「仁義」の二文字。それは幼児が幼児なりに懸命に理解した、「彼なりの仁義」の刻印なんでしょう。

CinemaScape/Comment: 仁義の墓場

 

主人公・力夫(渡哲也)が生前にこしらえた墓石に刻んだ『仁義』の二文字が意味するのは、仁義への忠誠ではなく、仁義を墓に葬り去るという、強固な意志だ。

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 マルクス読んだ後に法律をやると、見え方が変わってくる。

 

 たとえば民法で、生産段階(請負契約)においては、とにかく請負人が弱い立場に置かれる。

 流通段階では、一方で資本の回転を止めないように配慮しながら、他方でそれが本源的蓄積に至る場合には契約を無効/対抗不可/等とする、という配慮がなされている。背信的悪意者排除論なんかはこの文脈で綺麗に説明が付く

 

 それと自分が民事訴訟法が好きだったのは、資本主義と無縁の世界だからだったと気が付いた。資本主義の影響が小さいために、(「取引安全」などというような得体の知れない要素を容れることなく)すべての対立利益を丁寧に考慮することができるのだ。公害訴訟などの資本主義の影響がかかわってくる問題で、問題が異常に困難なものになるのはこのせいではないか。

 

 

 NetFlixのドラマ『ハウス・オブ・カード』を観た。

 

 製作総指揮の1人はデヴィッド・フィンチャーであり、彼は①反資本主義*1と②結婚*2をテーマに映画を撮り続けてきた監督だ。

 

 *1『ファイト・クラブ』、『ソーシャル・ネットワーク』、『ドラゴン・タトゥーの女』等

 *2『ゴーン・ガール

 

 本作はこれらの作品の集大成という感じで、テーマはやはり①反資本主義と②結婚だ。

 

 主人公フランクは、大統領の座を奪うべく日夜戦い続ける下院議員だ。登場人物のほとんどは自らの権力、地位、地元の利権にしか興味がなく、フランクはその欲望を巧みに刺激することで目の前の問題を鮮やかに解決していく。

 その巧みな手腕(剛腕)に視聴者は魅せられるが、(1)権力の頂点に上り詰める過程で、フランクは友人を失い、妻の愛を失い、人間性まで失っていくことになる。(2)また、上記過程を描くことで、視聴者は、政治決定の多くが正義や国民の意思などとは程遠いところで行われていることを理解することになる。

 本作は、これらの点を通して、資本主義下の民主制を徹底的にこき下ろしているのだ。

 

 ちなみにオバマ大統領も観てるらしくて草。

 

 山里亮太『天才になりたい』を読んだ。

 

 南海キャンディース・山里亮太が学生時代から現在までの半生を振り返った本で、山里亮太が面白くなるためにしてきた努力が書いてあるということで購入した。

 

 お笑いの仕組み(人はなぜ・どうしたら笑うのか?)を書いた本としては、桂枝雀『らくごDE枝雀』や、小林・山本・水野『ウケる技術』が有名だが、この本はそういった分析についてはあまり触れておらず、山里亮太の成功立志伝のような本であったので、少々期待はずれだった。

 

 ただ、「自分が面白いと思うものが一番面白い」という言葉や「天才のエピソードを以て自分がサボる口実にしてはならない」などの身につまされる言葉は、さすがだと思った。

 

 それと文章が伝えたいこと順ではなく時系列順で書かれているために、ノリノリで書かれた部分とそうでない部分との差が激しく、かなり読みづらかった(そのため恐らくゴーストライターが書いたものではないなと思った)。

 

 30分くらいで読めてしまうので、ぱらぱら見る分にはいいかもしれない。

 トルストイ戦争と平和』を読んでいる。

 第1部第1篇の山場は、ロシア最大の金持ちであるベズーホフ伯爵が死亡し、その遺産をめぐって①親戚のワシーリー公爵、②娘のエカテリーナ、③私生児のピエール(本作の主人公だ)が醜い争いをするところだ(最終的には主人公ピエールが勝利する)。

 ベズーホフ伯爵の死に際して、周囲の人間がカネの話しかしない様はおもしろい。同じ作者の別作品で『イワン・イリイチの死』という小説があるが、ここでも同じような光景が描かれる。

 これだけだとバルザックと同じだが、本作ではマリア・ボルコンスキーという人物が登場する。彼女は拝金主義に批判的で、バルザック作品にないキャラクターを持っている。

ああ、ジュリーさん、富める者が神の国に入るより、ラクダが針の穴を通る方がたやすいという救世主のおことばは、恐ろしいほど正しいものですわね。あたくしはワシーリー公爵に同情いたしますし、それにもましてピエールさんがお気の毒です。あれほどお若くて、あのような富の重荷を負ったとすれば、どれほどの誘惑にさらされずにすむでしょうか?あたくしがなによりもこの世で望むものは何かとたずねられたら、それは乞食のなかのもっとも貧しい者より貧しくなることでしょう。

 
 おそらくこの後ピエールは破滅していくのだろうが、どうなることやら。