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岡崎京子『PINK』を読んだ。
話がけっこう難解なので、分かっていることをまとめる。
本作は、主人公ユミが、消費主義のはびこる東京で、幸福を求めてあがく話だ。後半、ユミの飼うワニがさらわれてバッグにされてしまうのだが、この時点を境に、話は前半後半に分かれる。
前半では、ユミが果てない物欲と、ペットのワニの食欲(1日10キロの肉を食う)を満たすために、昼のOL業に加えてホテトル嬢(今でいうデリヘル嬢)をやる姿が描かれる。
「(ワニにエサをやりながら)よく食うなぁ。オマエが食いしんぼうだから昼間オーエルやってるだけじゃやってけなくて大変だよ」
ハルヲ「これがフツーなんだよ。人間みんなTVやポパイに出てくるよーなとこ住んでるワケないじゃん」
ユミ「そーお?なんで?あたしTVみたく暮らしたいし、ananのグラビアみたく暮らしたいな。みんなそうなんじゃないの?」
「何かあたしはなんだかすごく悲しくなって、そんなにお金欲しければカラダ売ればいいのに、と思った。やっぱみんな何だかんだいってワガママなくせにガマン強いんだな。王子様なんか待っちゃってさ。あたしなんてダメだな。ガマンできないもん。欲しいもんは欲しくなっちゃうもん。欲しくて欲しくていてもたってもいられなくなっちゃうもん」
しかし果てない物欲を満たすことで得られる「幸福」は、彼女を大して幸せにしない。
ユミが幸せらしきものを掴むのは、全財産を失った後に貧乏学生ハルヲの安アパートに移ってからである。また、ユミの母親は同じような「幸福」を追った結果自殺している。
ユミ「シアワセなんて当然じゃない?お母さんが良く言ってたわ。シアワセじゃなきゃ死んだ方がましだって。」
ハルヲ「お母さんは?」
ユミ「・・・・・・そのとおりに死んだわ。首つり、自分で、パンティストッキングで」
後半、ユミのペットのワニが、対立する義母にさらわれ、ワニ革のバッグにされてしまう。1日10キロの肉を食うワニは物欲の象徴だが、これを失ったことで、ユミは物欲を失い、その手段である仕事にも疑問を持ち出す。
「何にも欲しくないし何でもどーでもいいだす(あらどしたんでしょあの物欲のカタマリだったあたしがさ。でもホントなのよ)」
「何よこんなクソ面白くもない仕事マジにやってられるワケないじゃん。よくみんなこんなクソみたいなタイクツにたえられるわね。バカみたくゾンビみたく働いてさ信じらんない。みんなワニのエサになっちゃえばいいのよ」*1
物欲を満たすことが幸せだと信じていたユミにとって、物欲を失うことは幸福でないことを自覚することを意味する。それによってユミは病んでしまう。
「(あ、始まりそう。あの発作、どうしてあたしはここにいるの?とか、どうしてここに立ってるの?とか、考えだしたら止まらない。何で?何で?何で?どうして?どうして?どうして?わかんないわかんないわかんないわかんない。頭の中がクエスチョンマークだらけになっちゃうのよ。どうしようどうしようどうしようどうしよう。こわいこわいこわいこわい。だれかあたしをたすけておねがいです)」
混乱したユミが望んだ選択肢は、消費社会東京を離れて、南の島に行くことだった*2。
「ハルヲくん、あたし南の島に行きたい!!もういやこんなワニもいないとこ。大嫌い」
ユミの恋人ハルヲは貧乏学生だが、小説家としての夢をかなえたことで、偶然ユミを南の島に連れて行くことが可能となった*3。
しかし出発直前、ハルヲがホテトル嬢(ユミ)と同棲していることが記者にバレてしまう。ハルヲは記者に追い回された結果、交通事故にあって死んでしまう。
ラストは空港でハルヲを待つユミの姿で終わる。強烈なバッドエンドだ。
あとがきで作者は、資本主義は「手ごわく手ひどく恐ろしい残酷な怪物のようなもの」だと言うが、「そんなものを・・・脅えるのはカッコ悪い」と言う。「何も恐れずざぶんとダイビングすれば、アラ不思議、ちゃんと泳げるじゃない?・・・メチャクチャなフォームでも」というわけだ。
ここでの作者の立場は、バブル期の雰囲気を受けてやや楽観的なものとなっている。ユミはオトコの力を借りて「東京」から逃げ出すことなんかせずに、メチャクチャなりに戦っていくべきだったということだろう。傑作。
*1:ちなみに作者はあとがきで、「すべての仕事は売春である」と言っている。ユミにとって、昼間のOL業と夜のホテトル嬢は、どちらも物欲を満たす手段に過ぎない上、どちらもクソみたいな仕事であり、どちらも大差ない。さらに作者は「全ての仕事は愛でもあります」とも言っているのだが、この意味はよく分からない。
*3:金ではなく自分のやりたいことをやれば窒息しそうな街を出られるというのはフェルナンド・メイレレス『シティ・オブ・ゴッド』と同じテーマだ